地獄谷2010/05/24 13:57

 最近、よく野田の「新橋筋商店街」へ出向きます。うなぎだの豆腐だの昆布だの天ぷらだのとおいしいものが沢山手に入るもので、週末にちょっと時間を作ってゆくことがあります。うちから電車一本で30分程度で行けますしね。

 最近になってこの商店街で「地獄谷」という言葉を耳にしました。なんでも「接骨院とこの路地はいったとこ」らしくて、何かわからんけどものすごく興味を引かれて出かけました。

 なるほど、地獄谷と言うのは、飲み屋街でした。妙に猥雑な感じもするので調べてみましたら、かつては青線地帯(いわゆる非合法の私娼窟というところ?)だったと記述するブログもありました。

 なかなか魅力的な物件でしたねぇ。















 次回は一杯飲んで帰りましょうかね。

和歌山県御坊市・輪行撮影2009/08/20 20:49

せっかくの夏休み期間なので、青春18切符を片手に、カメラと小さな自転車を抱えて、和歌山県は御坊市まで出かけてきました。

 目的はなんてたってこれ↓


 紀州鉄道のキハ603です。
 とにもかくにも、まずはこの気動車に乗るためにやってきました。なんでももう今年いっぱいで引退だとの事。経営状態が不如意なためか、あまり手入れもされていない様子で、もう持たせるにも限界が来ているのでしょう、残念な事です。

 車内はご覧の通り。これはもう焼酎「二階堂」のCMに使えますね。ぜひ使って、映像を残して欲しいです。油引きの床、ニス塗りのシート枠、なにもかも木製で素晴らしい。



 終着駅の西御坊。駅舎の裏口はこんな路地でした。



 さて、西御坊からこの先の日高川まではかつては列車が走っていました、その廃線跡をまずたどります。



 あっと言う間に廃線跡の終着駅に到着。味わい深いです。



 今回は小型軽量のトレンクルです。デブの私が乗るのもなんなんですが、なんせ軽いもので…。

 さて、御坊市街ですが、殆どはモノクロフィルムで撮りましたので、デジタル映像はちょっとだけです。

 こんな自転車の看板があったり。山口ベニー号って自転車がありましたっけねぇ…。



 こんな「おベンツ様」が鎮座ましましていたり…



 こんな懐かしい看板があったり…



 これも懐かしい看板ですねぇ…



 さて、今度は西御坊から分岐する別の廃線あとをたどります。こちらは廃線になってひさしい紡績工場への専用引き込み線です。



 覆い被さる樹木が、時の流れを感じさせますね。



 こんな家のすぐそばを貨物列車が走っていました。

 西御坊駅へ戻ってみましょう。終点はこんな感じ。



 ただ、柵をしてあるだけです。まさに「断ち切られた」って感じ。



 反対側はこんな感じ。なんと味のあるたたずまい。

 ここで少し休憩。飯屋で昼食をとりました。さて、そろそろ帰りの電車の時刻も迫っています。御坊駅へと向かいましょう。



 沿線には「テツ」な人が盛んに撮影をしています。



 紀伊御坊駅では硬券を購入。



 なんという風情!ちいさな踏切。もうシビレますね。



 やがて、ゆっくりとキハ603がやってきます。自転車くらいのスピードで単機独特のジョイント音を響かせ…ごっとん…ごっとん…。


 さて、今回のお土産は…



 まずは醤油。



 おつぎは蜂蜜。流行っているのかな?



 そして紀州名物金山寺味噌。

 どれもおいしゅうございました。

 ご多分に漏れず、自転車も撮影もどうしても中途半端にはりますが、逆に欲をかかなければ、こんなにお気楽に楽しい撮影行はありません。がつがつ撮らなくてもいいですよねぇ…。

近江長浜2009/03/02 10:07

こんな景色もあります。

 3月1日から青春18切符解禁。さっそく新快速に乗って長浜へ行ってきました。
 長浜は古い建物を中心に町興しをして成功した例の元祖で筆頭に数えられるところです。それ故にいかにもな観光地化した風情には一抹の抵抗も感じるのですが、そうではない純粋に古びた街並みもちゃんと残っていて、そこそこどちらも楽しめる、結果的に結構居心地の良い手頃な街になっており、ついつい気楽に足を運んでしまいます。

 盆梅展(どうしても盆梅会→ボンバイエと言ってしまう)も行って梅の香りを楽しんできましたし、無論潰瘍道ミュージアムへも行ってきてBOMEのフィギュア欲しいなぁとか思ってきましたよ。

 今回気付いたことは、街を縦横に流れる水路にも改修の手が付けられていることでした。これについては、なかなか悪くないなぁと思います。整備直後はいまひとつ馴染めないでしょうが、そのうちに適度に古びれば良くなってくるかも知れないなと思います。何が美しく何が美しくないかということをしっかり判断して進める事が肝要で、このあたりに素晴らしいプロデュサーでも居れば良いんでしょうけれどね。

 長浜の街は京阪神からも名古屋からもちょうど適当な日帰りの観光地となっているのか、午後5時頃には大方の店も閉り、それを知っているかのように観光客も消えていなくなります。街全体が営業を終了するかのような感があり、これは非常にいただけません。昼の街と夜の街とが交代するというような感じでもなく、午後5時を過ぎるととにかく街の営業が終了という感じ。寂しいです。

 まぁしかしそれでも行って楽しい街だと思います。ここからリンクしている古い友人「草薙の剣」さんもこちらにいらっしゃるので、今回は団体でぞろぞろと行ったのでお会いするわけにはいきませんでしたが、今度一人で行ったときには訪ねて行きたいと思っています。

 写真ですか?今回はあんまり撮りませんでした…っていうか、今年はなんだか全然ダメ。GF670のドーピングに期待するしかありませんね。

大正駅界隈2009/02/24 23:46

家の角に味のある燈火

 仕事で出た帰りに、少し歩いて環状線大正駅前に僅かに残った古い家を少し撮影してきました。

 少し前はもうちょっと多くの古い家があったように記憶していたのですが、無くなったのか、それとも、場所を思い違いしていたのか…。

 古い家は喫茶店になっていました。今日は時間が無くて入れませんでしたが、次回は入ってみたいものです。

SEWING TABLE COFFEE2009/02/23 14:10

冬場は厚着が必要

 ずっと前から行ってみたいと思いながら行けなかった、星ヶ丘洋裁学校の敷地内にある"SEWING TABLE COFFEE"へ行ってきました。

 もう雰囲気たっぷりって感じで、暖房が入ってなくて(って事は当然冷房もないだろう)しかも窓も扉も開放されているので、外のカフェテラスと変わりありません。冬場で風のない日なら外のテーブルの方が陽が当たって暖かいだろうと思います。

 そういう意味で一般的なホスピタリティには欠けますがそれでもコンフォタブルなひとときを過ごせます。

 撮影はまぁ一本てとこ、四季折々に訪ねて撮影してみたいと思える場所でした。
 「洋裁学校」の中ですからオッサンが一人ではいるには勇気が要ります。

謹賀新年2009/01/01 21:44

これはデジカメで撮影

 あけましておめでとうございます。

 今年も元旦に生駒の聖天さん生駒山宝山寺へ行ってきました。ここすうねん、ご利益があるもので、味をしめてまた昔のように初詣でをするようになりました。

 修理の出来上ったローライフレックスの初仕事ということで、あいにくの氷雨でしたが、しょって出かけました。宝山寺へ到着した頃には氷雨は雪に変わっていました。
 現世利益の神、ヒンドゥ教のガネーシャを祭ってあるこのお寺は、欲望うず巻く庶民の神さん(お寺ですが)なので、将来に不安のある今年は例年よりも参拝者が多いように思えました。

 今年は気楽に写真を撮ろうと考えていますので、あくまでアバウトにその場の空気の流れで撮影をしました。僅かに三本だけ撮影して、本日の撮影はおしまい。それでいいかと思っています。

 今年はどんな写真生活になるのか想像も付きませんが、場の流れでいいかげんに、きわめてご都合主義でやってゆきたいと思っています。

 暗雲立ちこめる世相ではありますが、そんなもの気持ちの持ちようです。現実ばかりを見ず、ファンタジーに生きて行きましょう。

橋本2008/11/24 21:44

 ずっと前から撮影してみたかった和歌山県の橋本市駅前の街区に行ってきました。雨が結構降っていましたが、せっかく特急「こうや号」に乗ったんだし、なんとしても撮影して帰らないと「元が取れぬ」などとケチな根性全開、派手な合羽を着込んでテルテルボウズのようなナリで撮影しました。

 橋本駅前は想像していたよりもずっと「迷宮」で非常に魅力的でした。同時にもうこれは手の施しようがないんじゃないか?と思われる程に衰弱した感もあり「限界集落」という言葉が頭をよぎり、あまりの光景に撮影するのが憚られる程でした。しかも建物がどれもこれも歴史が感じられる立派なものなので余計に痛々しく感じられました。
 街区は再開発でもするつもりなのか、あちこちで立派な家が壊され更地がフェンスで囲われていて、バブル景気で地上げが盛んな頃の街のようでした。ああ何か方向が間違っている、まだこんな事をやっている連中の頭の中は1980年代後半なんだなぁ…いろいろ思いました。そんなメンタリティも痛々しかった。

 商店街はアーケードや電柱を撤去したら、かなり立派な伝建群が現れますから、まずそれを自分たちでやってから行政に保護を迫ってみるとかなぁと思います。思いますが…前述したようにすでに更地になっているところも多いです。お住まいになっている方もどうもお年寄りばかりのようで、なんだかもうなにもかも手遅れ、この財産を活かしての再生は無理かも知れないなと思いました。

 「滅びの美」を記録して行くしか…無いのかも知れません。あと、何度か足を運ぶ事でしょう。地元の方には失礼な話だと思いながらも。

2008.11.24追記
 デジカメを忘れてきて携帯で撮った写真、しかも、少ししかありませんが、この忘れられそうな街に少しでも関心を持って貰えたらと思い、地図とともにリンクしておきます。
大きな地図で見る

木曽福島-ピオニール2008/11/18 23:33


 この前の連休の木曽福島の撮影にはピオニールでも撮影しました。
 天気がよかったので、まぁまぁの枚数撮れましたが、やはり二つ三つのカメラを並行して使うというのは至難の業ですね。慣れが必用です。

 それでもなかなかスリリングで愉快な撮影が出来るなと言う実感は得られました。もっと使い込んでみたいものです。

 少し欲をかいて、この撮影のネガから年末のHowに出品するなら…とシミュレートのために一気に作品を選んで、構成までやってしまいました。まだこれを出すかどうかは決めていませんが(開催まで1ヶ月を切っているというのに!)暫定的にってことで。

 それでもまだペーパーをどうするか?面状は?トーンをどう仕上げるのか?色調は?など、方向を決められていませんが、大まかにはこうしようかなぁ…というものはあります。ひとつ決めたのは大胆にざくざくと画面をを切ってトリミングするってことです。縦横比を考慮せず好きなようにするつもりです。

 デビュー作の薄暗く湿気を帯びて閉塞感のある写真群とは大分雰囲気が違ってきていますが、また別の、少し奇妙な印象を持って頂けたらなぁと考えています。

ネガ整理のジレンマ2008/11/14 08:48

 皆さんは撮影され現像済みのネガ・ポジをどのように整理されているのでしょうか?私はとても気になります。

 私の場合2003年以降、やっと決定的とする「型」を見つけ、以来、それに従って整理をしています。

1. 6×6・12EXを基本としてPrintFile社製の8×10サイズのスリーブに収めてバインダに綴じる。各バインダは100シートで綴じる。8×10サイズのスリーブに収めるために、ライカ判は35コマ撮影し5コマ7本にカットする。6×7は9コマ撮影で3本にカット、6×9と4×5と8×10はそのままでOK。これは後述するスキャナでコンタクト(時に印画紙で)を取るため。

2. これらをA4スキャナにかけて450dpiでコンタクトを取る。

3. Excelで各シートでの諸データを記述しコンタクトの画像データとハイパーリンクでつなぐ。備考欄に適当に写っている内容をタグとして書き込む。

4. 棚に収めてはい、出来上り。

 これで、かなりきれいに、また後から探しやすく整理がつきます。
 しかし大きな問題があるんです。それは自分の性格に起因することなのですが、「きれいに整理してしまうと触りたくなくなる」のですなぁ。

 よく、ニュースなどで大学の先生が研究室の本棚の前でインタビューを受けていますよね。その際、背後のの本棚がきれいに片づいているかそうでないかで、普段から本を使っているか否かが大体解ります。きれいに整理されている本棚は使われていないことが多いです。

 こうして保存しておけば、ネガの検索と当該ネガへのアクセスは大変確実で容易なものになっています。ところがそれを利用する事に対して抵抗が生じてしまうのです。このきれいに整理された状態を壊したくない。このままにしておきたい…なんとまぁ因果な性格なのでしょうか。

 加えてもう一つ問題があります。素人役者を短くもない期間やっていたのですが、一度上演してしまった台本の台詞はきれいに忘れています。ところが、上演できなった台本は、未だに覚えています。これって、整理できてしまうと忘れるって事なのではないでしょうか?ですから、整理したネガは常日頃からExcelのシートをながめて何を撮ったか反芻しておかないと「あの写真を焼こう!」と思いたったりしないのですね。

 茶箱に無造作にぶち込んであるネガの方が出番が多いなんて、そんなバカな…と思います。
 せっかく確立した整理方法、なんとか活かすためにも、性格の変容を計らなければなりません。
 なんとまぁ、大袈裟なことでしょうか。

木曽福島2008/11/05 09:21

肥田亭、囲炉裏の間。しばらくぶりのDP-1で撮影。
 連休を利用して木曽福島へ行ってきました。

 木曽福島はデビュー作「う・す・ず・み・い・ろ・の…」を撮影した場所です。
 木曽谷が何処もそうであるように、木曽福島も急峻な山に挟まれて谷底に「こびりついたような」街です。

 木曽と云えば中山道の宿場町がならび、江戸情緒の感じられるところと思われがちですが、木曽福島は昭和初めの大火であらかた焼けてしまい、どちらかというと昭和レトロな風情を残しています。街自身の観光も江戸で行くのか昭和で行くのか迷っているような節もありますが、どうも江戸優勢の感は否めません。

 私にとっての木曽福島はどちらかと云えば昭和レトロな印象があります。しかしその魅力はなんと言っても、複雑に入り組んだ路地と階段です。路地から路地へ、階段を上り下りすれば風景はその都度一変し、知らない間にもとの所に戻ってしまったりして、さながら谷底の迷路といった様相を呈しています。

 撮影の多くは夏にしましたので、木曽踊り…木曽のナ~ァ中乗さァ~ん、木曽の御岳ナンジャラホイ…の提灯や、祭りが近い時は御神燈が吊されしめなわが張られ、一種呪術的な雰囲気があって面白い作品が撮れましたが、今回は秋で提灯もしめ縄も外されさびしい感じがしました。またゆっくり撮影していて気付いたのですが、この街はウンザリするほどの電柱と架空線で紅葉とそのバックの美しい空を眺めるなんて事が出来ません。どこから撮影しても必ず電線が入ります。中部電力に圧力をかけて全ての電線を地中化させるべきです。

 今回、ゆっくりと滞在したおかげで、木曽福島のいろんな部分が見えました。その背景にある大都市と地方都市の違いもよく見えました。撮影だけではなくて随分と考えさせられる撮影旅行になりました。

 さて、その撮影旅行ですが…

 今回、202FAと501C、デジカメのDP-1とCP5200、それからPionyrIIを持って行きましたが、かさばるわ重いわでもう肩も背中も腰もがちがちに凝ってしまいました。やはり思い切って202FA一台で行くべきだったかと思いました。
 路地から路地へ軽いステップで撮影して歩くなら、装備の簡略化は必須だと思いました。
 なんで予備を持っていったかというと、飯付き旅館に泊まり新幹線に乗って…つまりはいつもの18切符+木賃ビジホの旅ではないから、撮れなければその分のお金がめちゃくちゃもったいないじゃない?という実にビンボーな発想と、例えば東京へ撮影に行くならカメラが壊れたところで現地調達すりゃいいじゃん?ハッセルもローライもそのへんで売ってるし、でも木曽福島じゃそうはいかない、というバブリーな発想との最大公約数から「予備機は必要」と判断したのですが、やはりビンボー人の発想はいけません。カメラが故障したら故障したで、別の手を考える…という大人(たいじん)の余裕ある発想をしなくちゃなりません。
 このあたり「一期一会」って事とどう妥協るか、難しいところです。

 でもこれって自動車で行けば全て一挙に解決するんですけどね。きっと木曽福島も自動車で来る人を不知不識想定しているのでしょう。
 鉄道旅行派の私は、次回からはカメラは一台にしようと、つくづく思ったのでありました。

 そんな久しぶりの撮影旅行。それでも結構楽しいじゃねーかって感じでした。でもま、気紛れな僕には18切符と木賃宿の旅が性に合っているかということも再確認しました。