ようこそ第二ビルへ2006/11/26 22:19

第二ビル入り口
 日常利用するJR東西線の東改札を出たら、そこが第二ビルへの入口です。第二ビルはかつて長きにわたり梅田のどことも地下通路でつながっておらず、また、駅前再開発で立ち退かせた闇市の収容も兼ねて共用されたので、独特な業種の店舗も多く、独自の雰囲気を形成した、梅田のギアナ高地みたいなビルです。第一ビルには確か桜橋湯という風呂屋が地下にあったように記憶しているのですが、違ったかなぁ。
 第二ビルの魅力はその怪しさとキッチュさかげんです。このクリスマスツリーも、たまらずキッチュでええなぁー。いつまでもこのままで突っ走って欲しいです。

滋賀2006/09/11 11:07

雪の中の虎姫駅ホーム
 先日湖西へ行ってきました。滋賀県・・・正確には琵琶湖周辺へは何故か惹かれるものがあって、比較的良く出かけて行くし、よく行きたいという気持ちになります。文化的に懐が深いと言うこともあるし変化が緩やかであると言うこともその理由でしょう。また自然についてもいわゆる「手つかずの自然」というものではなくて、人が適当に手を入れている自然がそこにあるからだろうと思います。「手つかずの自然」も勿論好きですが、何か神々しすぎて緊張を強いられ、くたびれてしまうところもあります。しかし琵琶湖の深いヨシ原にまるでけもの道のように小さな人道が踏み固められているのを見るとほっとします。自分はそういうコントロールされた自然が好きなのです。「それを自然とは呼ばないよ」と仰る向きもあるかもしれませんが・・・。
 そんなふうに滋賀県は、自分の好きな深い文化を感じさせる街とちょうど良い程度の自然とが楽しめる地域なのです。大阪から新快速に乗れば湖東の近江八幡や湖西の近江今津へは一時間前後、湖北長浜へでも一時間半と非常に行きやすくなっています。
 食文化については余りよく判りませんが、いわゆる「郷土料理」の無い大阪に住んでいると、どこの郷土料理にしても良い意味で鄙びたものを感じます。しかし郷土料理というのは大体においてあまり美味しくもないものです。(ただし滋賀県の場合鮒寿司は例外でしょう。私は好んで食べるという事はありませんが、あの味は世に言う美味しいものの範疇にはいると思います)しかし最近の、洗練された郷土料理を出す店が増えれば、食べることの楽しみも増すと言うものです。滋賀県の街道筋には美味しいお菓子がありますが、これは大変楽しみなもので、何度でも食べたいと思うものが多くあります。
 滋賀県人によると、地縁血縁を第一に考える閉鎖的排他的な県民性が嫌だと言いますが、それは大都市以外には日本のどこにでもある精神性ですからそう気にすることでもないと思います。
 滋賀県は琵琶湖周辺ばかりに思われますが信楽など湖南の内陸部も滋賀県です。このあたりはこのあたりで、湖周辺とはまた違う雰囲気と文化があり、こちらを訪ねるというのもまた楽しみです。
 なんだか老人みたいな訪ね方になってしまっていますが、少し違うところは、自動車ではなく徒歩でもなく輪行でゆくというところです。これを強調して爺むさくないと主張したいのですが・・・。こういう遊びをすると云うことがすでに爺むさいものであったりするかも知れません。
 写真は雪の虎姫駅です。秋冬が待ち遠しいです。

シグマリオンIII2006/04/27 21:53

電脳化できるものならしたい
 家で、職場で常にネットにつながっている状態なので、やはり外でもネットに接続出来る環境は私には必須のものです。ネットがあれば出先で予定外の行動を取るのも自由です。行き当たりばったりの楽しさもあるかもしれませんが、もうこんな年齢だし時間も少ない、そんな自分が場当たりな行動を取ってへまをやるとダメージが大きすぎます。ネットで情報を得ながら行動すればそれは防げます。ネットは自分を自由にしてくれます。
 シグマリオンIIIとFreeDカード。性能や接続環境には大いに不満がありますがそれでも無いよりはずっとましです。
 無論、行き当たりばったりではなく、きっちり予定を立てている時の資料もこのなかに入れてゆきます。
 写真撮影に使うという事はありませんが、暗室ではマットを抜く時の計算をこれにさせて寸法を決定しています。

うなぎ菱東2006/04/26 20:47

旨そうな香りの漂う路地
 大好きな街、福島の浄正橋界隈には良い店が多くありますが、うなぎの菱東はその中でも一番の老舗でしょう。
 建物も古いのですが、自分には懐かしい寺田町の伯父の家に居るような、鶴橋にあった友人の家にいるような、そんな町家の居心地の良さがあります。
 無論、食事も美味しいものです。残念なのは江戸風であると言う事ですが、それがどっちでも良くなってしまう味です
 昔は店のそばを阪神電車が走っていて、福島駅がありました。梅田からたった一駅離れただけとは信じがたい長閑な風景がそこにあったのです。
 ライカM6・ズミクロン35/2asph(L)で撮影。良いレンズなんですが重すぎます。

鶴見線国道駅2006/04/22 00:26

国道駅ガード下
 「ここを撮りたい!」と憧れていたところを撮影に行けたなんて経験は相当久しぶりだったように思います。
 別の用のついでにタイトなスケジュールのなかでひねり出した時間を使って行ってきました。有名な撮影場所です。様々なメディアで紹介されて見慣れていたせいか、想像していたのとほぼ同じスケールの場所でした。写真に写っている場所へ行ってみると、写真で見るよりもずっと狭く小さい事が多いのですが、ここはそのまんまでした。
 大阪にいるとよくわかるのですが、ひどく近代的でスマートな場所の多い東京や横浜は、同時に信じられない位のノスタルジーを感じさせる場所が残っている街でもあります。この国道駅などは昭和・・・というか、「戦前」を思わせるような景色です。これほど濃い場所は大阪にはありません。有楽町のガード下だって、横丁や小路にしたって、東京のほうがずっと古さを感じさせる場所が多いのです。やはり街が巨大な分、新旧のダイナミックレンジも広いのでしょう。
 ここには民家もあって、そこの住居表示は「生麦」になっています。それではじめてここが、あの生麦事件の現場にほど近いのだという事を知りました。

春節2006/01/09 07:18

ぶた
 さすがにここはモノクロじゃなぁ・・・と怯んでしまう場所の一つが神戸中華街、通称「南京町」です。そりゃもう色の洪水ですが、それが妙にしっくりとなじんでしまい、西洋風の色の洪水よりもずっと心地よいと感じるのは、やはり同じ東洋人だからでしょうか?
 ほんの20数年前までは、カラーも大好きで半分くらいはカラー写真を撮っていました。レンズもカラーできれいに写るレンズを求めて、色んなものを使ってみました。クラシックレンズも使ってみたこともあります。結局、カラーの場合は現代レンズの方がいいと云う結論に達するまでには、それほど時間がかかりませんでした。ですからカラー写真の撮影に出る(今ではほとんどそんな機会は無くなってしまいましたが)時にはAE・AFのカメラを積極的に使います。
 銀塩カラー写真は、モノクロ以上に絶滅の危機を迎えているのではないかと思います。残り少ない時間を愉しむのに、南京町はうってつけの撮影地だと云えるでしょう。
 古いネットの友人covaemonさんと、今年は撮影に出る算段をしています。ところでcovaemonさんはフィルムのカメラ持ってるんでしたっけ?

空堀界隈2006/01/08 07:57

空堀の町屋
 空堀は大好きな街です。好きなお店もあるし、撮りどころは満載だし、写真展もここでやったし。何よりもここは路地の街で信じられないような細い露路が毛細血管のように張り巡らされていて、さながらちょっとした迷宮の様相を呈しています。ここに入れば1コマの写真が出来、一編の詩やエッセイが出来、一本の映画も撮れるし、ミステリーの一つも書けるでしょう。クリエイティブな若い(精神的に若い人も含めて)人達が集まりつつあり、しかも大資本はおろか中小の資本も入っていない、個人の集合体でもあります。ここらあたりが、堀江やアメ村とは違うところで、似たような場所に中崎町があります。うそ臭いコドモだましの街に成り下がった堀江やアメ村は陳腐化する一方でしょうが、ここら当たりは、妙な集団が仕切りつつあるとは云え、その集団にしても結構アバウトに構えているので、まだまだ大丈夫そうです。
 最近はここでの撮影も増えてきていて、浄正橋界隈に続いて自分にとっては撮り続けて行きたい街の一つです。
 いつもいつも引用する織田作之助の言葉をまた。

「・・・華かなネオンの灯が眩しく輝いている表通りよりも、道端の地蔵の前に蝋燭や線香の火が揺れていたり、格子の嵌ったしもた家(や)の二階の蚊帳の上に鈍い裸電燈が点(とも)っているのが見えたり、時計修繕屋の仕事場のスタンドの灯が見えたりする薄暗い裏通りを、好んで歩くのだった」

阪堺電軌大和川橋梁2006/01/05 07:38

阪堺電軌大和川橋梁。モスクワ4。
 機材の話ばかりが続いたので、撮影の話も。

 よく撮影に出かける場所の一つに、阪堺電軌の大和川橋梁があります。無論橋も好きなのですが、大和川の駅やその周囲の風景が好きなのでした。別に美しいものがあるわけでもないのですが、大阪市内から大和川を渡って堺市に入ると、急に景色が開けて空が広くなります。大阪市内と比べそれはもう本当に見事なコントラストを成しています。北河内で育った私はこの空の広さを見て、泉州に来たのだなぁとつくづく思うのです。
 そんな泉州への第一歩がこの大和川駅です。西陽がまともに当たる頃など、最高の雰囲気です。

 大和川橋梁は明治時代にかけられた古い橋だそうです。阪堺電軌は堺市内の路線を廃止したくて仕方がないようですが、堺市は怒っているそうです。なにしろ堺市はこれから路面電車を新設しようとしているのですから、既存の路線の廃止などとんでもないことでしょう。堺市内は路線の上下分離をして、軌道は堺市が持ってもいいのではないかと思います。いっそ、堺市交通局を作って、上下ともに買い取ってしまっては?堺市は政令指定都市になりました。大都市に路面電車がないというのは画竜点睛を欠きます、いつまでもこのチン電を走らせ続けて欲しいものです。

 写真はモスクワ4での撮影です。ちょうど塗り替えの工事中で数人の兄ちゃんがのんびりと手で塗っていました。

旧阪急梅田駅コンコース2005/09/29 07:19

旧阪急梅田駅コンコース
 阪急梅田駅の旧コンコースが取り壊されることになりました。阪急百貨店自体も重厚な建物で美しかっただけに残念です。確かに今となっては遣い勝手が悪いのかも知れませんが、それにしても美しい建築をいとも簡単に取り壊すという行為は、阪急の見識を疑惑います。また、その体質が露呈されたと言っても良いかも知れません。
 最後の夜にはこのように多く人々がカメラにその姿を収め、名残りを惜しんでいました。
 梅田阪急を取り壊して新しくする事がそんなに価値のある事なのでしょうか?そうは思えません。
 梅田ヨドバシのように汚らしい軽佻浮薄な建物と、その入れ物に見合った程度のサービスしか提供出来ない商売人をみていると、つくづく商都は滅びたのだと実感させられます。
 阪急百貨店に限らず、電鉄系の百貨店はそこそこ高級でそこそこ庶民的で、バランスの取れたものであったと思うのですが、その「庶民」の質が変わってきたので、百貨店も変わらざるを得ないのかも知れません。
 汚い大阪の数少ない綺麗な場所が、一つ無くなってしまいました。

海南市船尾2005/09/22 07:38

海南市船尾。スーパーイコンタ533/16。
 和歌山県の海南市に黒江地区という、歴史的な町並みを保存した地区があります。しかしまだ意外に小粒で今ひとつと言うところでした。
 がっかりして付近をさまよい歩くうちに、船尾口(ふのおぐち)という地区に迷い込みました。が、ここが素晴らしいの何の。地区全体が旧び、商店や風呂屋も閉じてしまい、住民はお年寄りばかりになって、町並み自体はなんとか保存・・・というか、そのまんま朽ちて行きつつある感じでした。
 この一体がそのまま保存され、若い人がカフェやら小あきないでも興し、風呂屋なども再開したら、昭和のテーマ・パークみたいになるでしょう。もしこれが大阪市内にあったら、中崎町よりももっとまとまりのある、旧い街として再びにぎわうだろうになぁと思いました。
 こちらはコーティングされたテッサー80mmF2.8を擁するスーパーイコンタ533/16で撮影しました。