寄り道2005/09/02 07:27

 生来ものごとに集中できない性分で、「脇目もふらず」にと云う事が全くできません。だから子供の頃は大人に叱られてばかりで生きてる事がたのしくありませんでした。
 いつしかそれが生まれつきのもであると居直りを決め込んだときに、脇目もふらないストイックであることを憎むようになっていました。きっかけは身近にいたある詩人で郷土史家でもあった人が「執筆の時には弁当を持って書斎へ入る」と言った事です。その時は心底ぞっとしましたし、以来、ストイックである事を憎むようになったと思います。
 確かに暗室に一晩こもるなんて事もありますが、それでも一服を繰り返しやたらお茶を飲み、居眠りをしと半分の時間はプリント以外の事に耗[つい]やしています。それでもできるときはできるものですし、できないときはとっとと寝てしまえばいいと思っています。

 兒嶌秀憲さんのブログに
 「去年はまだそこそこ臨時?収入があったのであの大写真家*が地上にさよならをした月に大義名分でこのカメラを黒く塗ってしまいました。その¥があれば大量のフィルムに印画紙が買えましたがやってしまいました」
 と書かれていたが、そういう寄り道は大好きです。

 目的に向かってストイックにまっしぐらに邁[ゆ]く事は効率も良く、質の高い成功をもたらす事でしょう。最小の力で最大の効果を上げる事ができるでしょう。また力のない者が余計な事をしていては、いつまでも目的を達成できないでしょう、わかってます。でも自分はそんなのまっぴらごめんです。自分は目的を達成することに、またその過程にぜんぜん面白味を感じないからです。余計な事のほうがずっと面白いと思います。

 かくして寄り道せずにはいられない人間のまま生きながらえているのです。人生のすべては「どうせ死ぬ」という目的のなかでの寄り道でいいと思います。


*去年没くなった、アンリ・カルティエ・ブレッソンの事。