過去のネガが苛む ― 2009/10/20 15:35
ネガの劣化について前に書きましたが、その時に、中学~高校時代のネガの全てに目を通しました。実に多くの事が写し込まれ、その毒気に当てられたのか、次第に気分が悪くなり、全て見終えた時は吐き気がして往生しました。
以前に「思い出したくない過去は小学生の頃だ」と云っていましたが、今回、それどころでは無くなってしまいました。
写真についても「自分の生きてきたという証明だ」と云っていました。しかし今、そんな証明などしたくないと思っています。
なぜこんなに過去のネガを見ると気分が悪いのでしょうか。確かに人間というものは良い記憶よりも悪い記憶の方がしっかりと残るものです。戦争や自然災害の恐怖を語る人は多いですが、昭和元禄やバブル景気の頃の楽しさを語る人は少ない。悪い記憶をたどれば、今がその頃よりはましだと思えて、安心できるからでしょうか?
中学高校から10年後あたりのネガも少し探ってみたのですが、結婚式や友人家族の写ったネガが多く現れます。しかし、その中には既に離婚してしまったりして、ばらばらになった家族も多い。本人に高い値で売れるなと言うような…むろん冗談ですが…そんなネガも幾つかあります。やはりこれなんぞも、記憶は苦く酸っぱくまったく良い気分ではありません。
人間、そこそこの年齢になると全身傷だらけです。猫も鯨もそうです。生きると言う事は傷つき次第に壊れて行くというだけの事、記憶もまた然りで、恥とトラウマばかりが増えて行きます。僕が死ぬ時というのは、恥とトラウマに押しつぶされて死ぬのだなとわかりました。
写真は表現でも記録でもなく、生きてきた過去の残滓なのかも知れません。古い皮膚のように剥がれ堕ちて行くもの。美しい肌も新陳代謝をして垢を落としながら命脈を保つ訳で、しかし垢は垢で美しいものではありません。そんな垢を拾い集めて分類して保存してあるとすれば、たとえそれが美しい人の肌から剥がれ落ちたものであっても、それは汚く気分が悪くなるのも当然なのかも知れません。
写真は真実を写すものでもなければ光で描いた画でも無いかもしれませんが、しかし表に出ている限りのありのままを写しとり、そこに結びつく記憶とで構成されたものではある…そう思い始めています。
とにかくネガボックスには膨大な過去が詰っています。ネガボックスを探ると、その過去が今の僕の整理を拒否し、してきた事の帳尻合わせを要求して来ます。都合よく美しく整理されおとなしくエクセルに登録されるなんて事はなかったのです。
ネガの整理が気の重い…というか、精神的に耐えられるのだろうか?という作業になってきています。でもネガの劣化は待ったなし。今できる最良の選択は出来るだけ速く整理し、必要なものだけプリントし、あとはデジタル化し、保存できる状態にしてから封印してしまい、過去に耐えられるようになったらそのとき再び封印を解くという事かも知れません。それにしても、かなり時間と労力とお金のかかる事ではありますが。
いい歳になってこんな事になるなんて、思ってもみませんでした。
以前に「思い出したくない過去は小学生の頃だ」と云っていましたが、今回、それどころでは無くなってしまいました。
写真についても「自分の生きてきたという証明だ」と云っていました。しかし今、そんな証明などしたくないと思っています。
なぜこんなに過去のネガを見ると気分が悪いのでしょうか。確かに人間というものは良い記憶よりも悪い記憶の方がしっかりと残るものです。戦争や自然災害の恐怖を語る人は多いですが、昭和元禄やバブル景気の頃の楽しさを語る人は少ない。悪い記憶をたどれば、今がその頃よりはましだと思えて、安心できるからでしょうか?
中学高校から10年後あたりのネガも少し探ってみたのですが、結婚式や友人家族の写ったネガが多く現れます。しかし、その中には既に離婚してしまったりして、ばらばらになった家族も多い。本人に高い値で売れるなと言うような…むろん冗談ですが…そんなネガも幾つかあります。やはりこれなんぞも、記憶は苦く酸っぱくまったく良い気分ではありません。
人間、そこそこの年齢になると全身傷だらけです。猫も鯨もそうです。生きると言う事は傷つき次第に壊れて行くというだけの事、記憶もまた然りで、恥とトラウマばかりが増えて行きます。僕が死ぬ時というのは、恥とトラウマに押しつぶされて死ぬのだなとわかりました。
写真は表現でも記録でもなく、生きてきた過去の残滓なのかも知れません。古い皮膚のように剥がれ堕ちて行くもの。美しい肌も新陳代謝をして垢を落としながら命脈を保つ訳で、しかし垢は垢で美しいものではありません。そんな垢を拾い集めて分類して保存してあるとすれば、たとえそれが美しい人の肌から剥がれ落ちたものであっても、それは汚く気分が悪くなるのも当然なのかも知れません。
写真は真実を写すものでもなければ光で描いた画でも無いかもしれませんが、しかし表に出ている限りのありのままを写しとり、そこに結びつく記憶とで構成されたものではある…そう思い始めています。
とにかくネガボックスには膨大な過去が詰っています。ネガボックスを探ると、その過去が今の僕の整理を拒否し、してきた事の帳尻合わせを要求して来ます。都合よく美しく整理されおとなしくエクセルに登録されるなんて事はなかったのです。
ネガの整理が気の重い…というか、精神的に耐えられるのだろうか?という作業になってきています。でもネガの劣化は待ったなし。今できる最良の選択は出来るだけ速く整理し、必要なものだけプリントし、あとはデジタル化し、保存できる状態にしてから封印してしまい、過去に耐えられるようになったらそのとき再び封印を解くという事かも知れません。それにしても、かなり時間と労力とお金のかかる事ではありますが。
いい歳になってこんな事になるなんて、思ってもみませんでした。
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