「さて…2009/11/15 20:20

…どこへ行こうかしらね。ネットは広大だわ」。
 そう言って人形遣いと融合した草薙素子は、ネットへと姿を消しました。しかし、こうも言い残しています。

「あなたがネットにアクセスするとき私はいつもあなたのそばにいる」

と。

 実態としての自分に拘らなくても、そこかしこに自分は存在する。この言葉を私はそう理解しています。そして、若干強引ではありますが、それは私が思う十牛図の「忘牛存人」に通じるものでもあるように思えます。


 50歳になりました。

 そして、プリンタとプリンタ用印画紙を注文しました。
 ここで一気にデジタルへ移行する…積もりではありません。今、プリントしたい作品が、ネガフィルムではなくてデジタルカメラで撮影したデータとして存在しているからです。
 これを年末のHOWに出すかどうかはわかりません。うまくプリントできるかどうか、プリントに耐えうるデータであるかどうかもわかりませんしね。

 今までも何かに…たとえば、銀塩写真やスクエア画面に、また路地写真やノルタルジックに…さして拘ってきたわけではありませんが、これを機に、意識してこだわりや偏りを無くして行こうと考えています。
 スタイルが完成されていたのではありませんから、ますますスタイルのない写真を作り出す事になるかも知れません。でも、それでもまぁいいやと考えています。ことさら自分に拘らなくても、自分のアイデンティティは保たれ続けるでしょう。何をやっても、どんな作品を作ってもそれが自分である事に間違いはないのでしょうからね。

 私は自由なのだし、自分の創作するものも自由なのだと確信しています。誰のためでもなくまた自分だけのためでもなく、しかし自分自身の手によって作り出すものは、それは紛れもなくまた自分自身の姿です。

 さて、私は広大な写真世界を漂いながら、たまにぶつかる何かと融合を繰り返し、その都度、作品を作り続けたいと思います。あとどれくらいの時間が残っているのか、はなはだこころもとない事ではあるのですが。