あなたの写真作家活動は「趣味」ですか?2007/06/13 16:36

イーゼルマスクに向かう
 いきなりなんだか大きく振りかぶってしまいましたが、このブログを読んで頂いている皆さんやリンクして頂いている皆さんで、個展を開いたり共同展に出品したり、またウェブサイトやブログで写真を発表している方は多くいらっしゃるでしょう。皆さんにとって写真は「趣味」なのでしょうか?
 ある意味非常に抽象的な問いかけなのですが、私はいつの頃からか自分で写真作品をつくる行為を「趣味」と呼び呼ばれる事にいささかの違和感を抱くようになってきたのです。でも、私は写真が仕事ではなく他に仕事を持っています。アマチュアであり、外から見れば「趣味」であり「道楽」でしかありません。でもしかし、そう断定される事には違和感があります。"単なる趣味でも道楽でもないぞ"とまたもや「ゴーストがささやく」のです。
 一体、この行為は何なんでしょう?生き甲斐?それもありかもしれません。カタルシス?大いにあるかも知れない。ミッション?いや~そこまでは・・・。かつて言ってきた事は「私が生きていたという証し」だと公言していました、今でもそれはありですが、長い年月生きてきて少しそれだけでもないかも知れないと思うようになってきています。
 それでここでちょっと尋ねてみようと考えた訳です。
 あなたにとって・・・何でしょう?

コメント

_ sing ― 2007/06/13 19:55

今のところ「写真はlife」と言うのに落ち着いてます。
生き甲斐というのに似てるんですけど、ちょっと違うんですよね。
もっとこう、喜びなんか無くったって常に身近、というか。

_ ひうら ― 2007/06/13 22:44

そもそも「趣味」という言葉がどうしても浅い印象を与えるところはありますね.英語で hobby だと同様に,ちょっと浅いなと思うわけですが,activity だと,さほどずれていない気がします.しかし「活動」になると,やっぱり語感がちょっと違う気がします.

そもそも日本の文化として,仕事が人生の活動の中心にあるべきで,余技はほどほどが良いとされてきたようなところが,このボキャブラリーの貧困さにつながっているのかもしれません.仕事にしないものは「道楽」であって「余裕があっていいですな」などとレッテルが貼られるのは,今の時代,ちょっと違うんじゃないかということです.

実際問題,人間のぐるっと外周全部の形を作るのに,もなかの皮みたいに仕事とプライベートの表裏2枚が私には必要というか,もはや,それ2つで全体の形になるように出来ているんですよね.つまり自分という人間を形作る一要素であって,自分と一体のものなんでしょうね.仕事やら写真やらの「活動」という要素を僕から取って肉体だけになっても,もうそれは僕じゃないですから.

_ もずく ― 2007/06/14 00:31

 写真を撮る事の全体像は、「ひまつぶし」 でも「趣味」でも、呼び方は大して重要ではないような気がします。    それよりも、個々の写真について、何故それを撮ったのかを、ある程度言葉で説明出来れば、それで良いのでは、ないでしょうか。       なんて...   失礼いたしました...

_ 琥珀亭 ― 2007/06/14 12:15

哲学的な問題を提起されますな〜

私に「趣味」は? と聞かれたら『カメラ集め』と答えることは有っても『写真撮影』とは言わないでしょうね。
じゃあ写真を撮影する行為は何と聞かれると困るんですが・・・・・ひとつ、ひとつの写真を見れば、撮った時の心理状態(心的条件と言ったほうが的確かも)が違うんですが、大局的に見れば自己満足かな・・・?(チト、ニュアンスが違うか)

昔、プロとアマの違いをPC-VANで論じた時を思い出しました。

_ covaemon ― 2007/06/14 13:31

「記録」 「生活」かな。

趣味っていうほどしてないし、道楽ほどばかでもないし、活動ほどアクティブでもないから。

うろぼろす堂さんの場合は「露出」じゃないですか?つまり、見せるね。

_ うろぼろす堂 ― 2007/06/16 16:27

>singさん。
 LIFEってのはなかなか的を射ているように思います。確かにもう生きて行く事と切っても切り離せないようなってところですよね。これ、私も人にウンチクたれるときに使わせてもらいたいです。

_ うろぼろす堂 ― 2007/06/16 16:37

>ひうらさん
 仕事が人生の活動の中心にあるべきってされているってところは、、さんざんそうじゃないと若い頃に言ってきたのにもかかわらず、いつの間にか忘れてしまって、そういう方向へ流されていました。
 あらゆるactivityが集合してひとりの人格をなすのかも知れない、というか、そうなのだろうと思います。無論ディテールは常に変化するにしてもです。
 もなかの皮のあっちとこっちというのはなかなか面白い例えですね、真ん中のあんこでがっちりと統合されているという。

_ うろぼろす堂 ― 2007/06/16 16:43

>もずくさん
 はじめまして。なるほど、それも「あり」だと思います。もっとも自分の場合は煩悩のなせるわざか、他者からその行為をどう呼ばれるか、自分でどう定義するのかって事はやはり気になります。逆に、なぜそれを撮ったのか?と問われると、これがまた、なかなか説明がつきません。なぜ?ということを無限に繰り返してしまいますね。己が愚痴の闇路なりって訳です。ていうか、無限ルーチンに陥るというか。

_ うろぼろす堂 ― 2007/06/16 16:47

>琥珀亭さん
 あるいはカタルシス。でしょうかね。
 そういえばやりましたねぇ、延々と。「プロ」も居た訳だし、もう20年近く前になっちゃいますか?
 やはりあの時に議論になったように、未だに同じようにいろいろ考えてしまうのですよね。なんか、そのあたりでは永遠に同じ時間を生きているような・・・。

_ うろぼろす堂 ― 2007/06/16 16:50

>covaemon さん
 相変わらず痛いところを突いてきますね、たしかにそれはあります。露出・・・というか、見て貰うって訳ですね。見てくれ、見ろ!って訳で。目立ちたがりとか言うのとは違うのですが、なんか私を見て欲しいってところは多いにあります。

_ GG-1 ― 2007/06/16 21:08

はじめまして
mONOCHROMeさんのTBから参りました
なかなか哲学的問いかけをなされておられますが
え~
私にとっては一応「生理」ってところであります
無くても問題は無いが、寂しい
間が開くと、なんとなくも撮りたくなる
理屈じゃないって事で生理といたしました
如何でしょうか
又、お邪魔させていただきます

_ うろぼろす堂 ― 2007/06/18 00:11

>GG-1さん
 いらっしゃいませ。
 「生理」というのはこれまた全く想定外ですね、頭よりももっとプリミティブなものと言うことなのでしょう。しかしそれって凄いですよね。
 ブログも拝見しましたが、今、トップにある写真やその三枚目みたいなのって痺れますね!いや~素晴らしいです。この撮影現場に立ってみたいです。

_ fortunati ― 2007/06/19 09:14

おはようございます。
うろぼろす堂さん、リンクいただき、ありがとうございました。
さて、この質問の件、以前から気になっていました。
ただ、うろぼろす堂さんはじめとして、写真展に出品されるような方々と
私のような若輩者ではレベルが違うといいますか、畏れ多くてレスできずにいました。
それを承知で言うなら、私にとって写真はやはり趣味と言える範疇のものでしょうか。
ただブログに載せている、文章を添えた写真としては、
やはり趣味という単語では括られたくない気持ちはあります。
毎日更新で不出来なものもありますが、私のブログは写真とそこから引き出される言葉、
ストーリー、あるいは何らかの感動、感情を表現する手段として考えています。
写真は写真単独で勝負というのが本流でしょうから、私の方法はある種の邪道ではあると思います。
でも私はあくまでもこの我が道を行きたいと考えております。
ただ、趣味に代わる言葉というと、まだ適切なものが浮かびません。
あるいはsingさんの仰ったLIFEというのが適当かもしれません。
雑文、失礼しました。

_ うろぼろす堂 ― 2007/06/21 10:33

>fortunati さん
 私は写真表現に制約はないと思います。テキストを付けてより表現が豊かになり深まるなら多いにそうすべきだと思うのです。原理主義には窮屈なので。写真家には饒舌な人が多いと言いますし、fortunati さんのように文章を付加する事は多いにされるべきではないでしょうか。それに文章ついている方が楽しいですし。ほんと、その我が道を行かれるのがよいと言うか行って頂きたいと思います。楽しみにしております。

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