retouch2008/05/20 10:10

Amazonから拝借
 ニュースフィードで購読しているとある方のブログで、レタッチのことについて触れておられました。

 レタッチについては肯定派否定派中間派に当然別れるのでしょうが、私はもう肯定派で、作品を作る時にはばんばんレタッチしています。トリミングは言わずもがな、焼込・覆焼から果ては裏焼きまでやっています。
 しかしそのことが撮影時点で構図や露出をおろそかにしているかと言えば、そう云うわけではありません。出来るだけイッパツで作品になるように撮っているつもりです。
 しかし現実は厳しい、そう思っていてもままならぬ事の方が多いです。
 また、これは重要なことなのですが、同じネガであってもプリント時の気分によって、どう仕上げるかなんて事は常に変わって行きます。一枚として決定的な同じプリントはできません。もっともそれは、決定的一枚が著名になって世の中に流通していない証拠でもありますが、であるからこそ、常に同じプリントを作る必要も無いわけです。

 このブロガーの方も書いておられたのですが、写真は私もやはり「光画」だと思います。どっちにしろ写真なんて"真"を写し得ないことは、写真を撮っている人なら皆理解しているはずです。だったら、美しい嘘で観てくれる人を騙してあげた方がいいのでは無いでしょうか?毒を喰らわば皿までです。

 無論、レタッチ否定派を批判したり否定するつもりは毛頭ありません。それもまた素晴らしいことだと思うからです。
 兒嶌秀憲さんは必ずフレームの黒縁を出したフルフレームの写真で素晴らしい作品を繰りだしてきます。彼は撮影時点で印象の強いフレーミングをするし、その印象を仕上げるまでずっと変わらず保持できるのです。
 兒嶌さんはコンタクトプリントを見せろと言われても、胸を張って見せられるでしょう。作品はコンタクトから切り出したように、最初から完成されているのですから。私なんぞはとてもコンタクトを見せられたものではありません。きっと、どれからその作品を作ったなんてわからないと思います。

 それでも大幅なレタッチをすることには些かの抵抗があったのも事実です。中途半端なところで陰々滅々としていましたが、去年の京都での"How Are You Photograpuhy?"では、トリミングとレタッチの応酬で作品を作りました。縦横比など無視して、イーゼルのブレードを一辺ずつ自由に動かしたり、イーゼル自身を傾けたり挙げ句の果てにはZ軸方向にも傾けたりしました。焼込覆焼はいわずもがなです。これできれいに吹っ切れて、レタッチをしてもしなくてもそれも自由自在と思えるようになりました。

 これで少しまた写真が楽しくなったのも事実ですし、フォーマットへのこだわりが少し緩解したように思います。植木等のように調子よくスーダラダッタと撮りたいものです。

追伸:
 無論の事ですが、それでもって他者を詐いて利益を得るようなレタッチ(=「改竄」)まで肯定しているわけではありません。あくまで、「創作」としての写真の範疇でということです。