耳隆写真展「夏日 -natsubi-」 ― 2007/11/03 10:47

―この記事はギャラリ訪問時の日付でのエントリですが実際のエントリは11月14日です。―
ギャラリー・グレイスでの耳隆さんの写真展「夏日 -natsubi-」を観てきました。
アイレヴェルのポジションで捉えられた夏の光景は、時にはオーソドックスに時には大胆にフレーミングされて目の前に現れます。それでも作品から作品へのつながりに唐突さが無くすんなりと受け容れられるのは、作品に通底する作者のけれん味の無さと被写体へ向けられた視線の自然さのためでしょう。これらの作品の黒みは即ち暑さであって、黒い色が熱を集め放出するように、作品からは黒い暑気が強い圧力を持ってこちらへ向かってきて、ギャラリの中は熱暑に見舞われていました。真夏の陽射しが強く深い影をつくるように、ここでは闇が熱を放ち空間を支配しています。
縦位置でフレーミングされた路地の写真などは、私にはぐっと来るものがありました。また案内葉書に使用された作品は、やはり素晴らしいものでした。
いつも写真月間等の共同展で少ない点数を見せて頂いているだけでしたが、こうしてまとまって展示されると一層彼の持つ世界を楽しめて快感。プリンタで出され美しく製本された写真集も会場に備えられ、手にとって見せていただくことが出来ました。あと何度でも個展が出来る数の作品集を持っておられますから、また次回が楽しみです。
写真はこうしてギャラリに展示されるのがやはり一番だと改めて思いました。同時に楽しかった熱暑の日々も思い出された、良い写真展でした。
でじたるかめら ― 2007/11/20 09:31
「アナログ写真かデジタル写真か」なんてことは随分言い古された感があるし、ナンセンスであることも理解していますが、今更のようにふと考えてみました。
よくガチガチのアナログ写真主義者が昔言ってましたが「デジタルでは写真は上手くならない」と言う台詞・・・写真って上手くならないとダメなんでしょうか?下手なまま続けちゃいけないですか?あんまりなストイックさや求道的な姿勢は、それを尊敬はしますが、私には押しつけないで欲しいと思います。窮屈すぎます。
「上手くならない」のはランニングコストがタダに近いので、いい加減に何枚も撮ってしまい、一枚一枚を大切にしないからだとのことなのですが、フィルム代を考えずに一つの被写体に対して何回もシャッタを切れなんてことを、あなたもっと昔に言ってませんでしたか?そんな覚えがあるんですが。
ランニングコストが安いからこそ、なんでも撮れてなんでも残せる、それは素晴らしいことなのではないでしょうか?デジタル写真でも撮った写真を選択して残し、後は消してしまうという人も居るようですが、もったいない話しです。HDDが15MBで30万円だった時代なら泣く泣く取捨選択(もっともその頃にはデジカメはなかったし、初期デジカメのデータなんて軽いものだった)したでしょうが、デジカメの画素数が上がった今でも、"1コマ"あたりのストレージ代は昔よりずっと安いのではないかと思います。だから、無駄打ちとも思えるようなコマでも残しておいても構わないんじゃないかって思います。
多くの中から「選び出す」ことは必要なことですが、「選んで残す」ことだけが正しいとは思えませんし、私には何か意味のある行為とは理解できません。話しが飛躍しますが、今、私達がふれている「歴史」は選んで残された事柄でしかありません。だから強者やそれこそ選ばれた者だけしか登場しない、しかしこれからは違う。いわゆる"歴史的"にどうでもよろしいような普通の人の歴史が膨大な数記録され記憶されて行くのです。これは実に愉快なことで、もう歴史は一部の権力者の者ではなくなったのです。
デジタルカメラは写真が「選ばれた者」の「選ばれたもの」の座から引きずり下ろしてくれた、これは快感でしかありません。これぞデジタル写真の面目躍如であると、自分は感じます。
この10日間程の間、私は酷い気道の炎症に苦しみました。鼻をかむと信じられないような大きさの鼻汁と血液が混ざって生乾きになった塊が出てきます。私は毎日それをデジカメで撮りました。実に汚いものを撮ったのですが、これをマイクロニッコールやマクロプラナーを取り出して、リングライトを付けて撮影する気になるかと言えば全くならないし準備している間にそれは干乾びてしまうでしょう。
何の根拠もない勝手な想像ですが、江戸時代に誰かがこのような汚いものを描いて記録して今に伝えていると言うことも無いようですし、昭和の戦後部分に至っても、どこかにあるのでしょうが、少ないでしょう。けれど、今なら自分の鼻汁は言うに及ばす、喀痰や糞便に至るまでデジカメで記録している人は居るのではないでしょうか?
かつてのアナログ写真では「選ばれる」はずものないものまで残せるデジタルカメラというのは、なかなか素晴らしいと私には思えます。
もはや「デジタルでは写真はうまくならない」なんて言葉に説得力はありません。デジタルかアナログかという二者択一二元対立論など、なんの意味もなさなくなってきています。「写真」という行為をするにあたって、デジタル・アナログどちらかを選択するというのは、あまり意味をなさない事のように思えてきています。現にデジタルから写真に入って銀塩写真に至る若い人は沢山出てきています。私がインクジェットプリンタのヘッドが写真を描き出すのを初めて見た時と同じ驚きを、彼等は現像液の中から浮かび上がってくる画像を見て感じるのです。どちらも「へぇ~!写真ってこうやって"も"出来るんだぁ!」
朝起きてふと思ったことを書いてみました。もっとも、こんな話しを今頃している時点で、やや世の中から遅れている感もありますね。最初から分かっていた人は分かっていたのですから。
よくガチガチのアナログ写真主義者が昔言ってましたが「デジタルでは写真は上手くならない」と言う台詞・・・写真って上手くならないとダメなんでしょうか?下手なまま続けちゃいけないですか?あんまりなストイックさや求道的な姿勢は、それを尊敬はしますが、私には押しつけないで欲しいと思います。窮屈すぎます。
「上手くならない」のはランニングコストがタダに近いので、いい加減に何枚も撮ってしまい、一枚一枚を大切にしないからだとのことなのですが、フィルム代を考えずに一つの被写体に対して何回もシャッタを切れなんてことを、あなたもっと昔に言ってませんでしたか?そんな覚えがあるんですが。
ランニングコストが安いからこそ、なんでも撮れてなんでも残せる、それは素晴らしいことなのではないでしょうか?デジタル写真でも撮った写真を選択して残し、後は消してしまうという人も居るようですが、もったいない話しです。HDDが15MBで30万円だった時代なら泣く泣く取捨選択(もっともその頃にはデジカメはなかったし、初期デジカメのデータなんて軽いものだった)したでしょうが、デジカメの画素数が上がった今でも、"1コマ"あたりのストレージ代は昔よりずっと安いのではないかと思います。だから、無駄打ちとも思えるようなコマでも残しておいても構わないんじゃないかって思います。
多くの中から「選び出す」ことは必要なことですが、「選んで残す」ことだけが正しいとは思えませんし、私には何か意味のある行為とは理解できません。話しが飛躍しますが、今、私達がふれている「歴史」は選んで残された事柄でしかありません。だから強者やそれこそ選ばれた者だけしか登場しない、しかしこれからは違う。いわゆる"歴史的"にどうでもよろしいような普通の人の歴史が膨大な数記録され記憶されて行くのです。これは実に愉快なことで、もう歴史は一部の権力者の者ではなくなったのです。
デジタルカメラは写真が「選ばれた者」の「選ばれたもの」の座から引きずり下ろしてくれた、これは快感でしかありません。これぞデジタル写真の面目躍如であると、自分は感じます。
この10日間程の間、私は酷い気道の炎症に苦しみました。鼻をかむと信じられないような大きさの鼻汁と血液が混ざって生乾きになった塊が出てきます。私は毎日それをデジカメで撮りました。実に汚いものを撮ったのですが、これをマイクロニッコールやマクロプラナーを取り出して、リングライトを付けて撮影する気になるかと言えば全くならないし準備している間にそれは干乾びてしまうでしょう。
何の根拠もない勝手な想像ですが、江戸時代に誰かがこのような汚いものを描いて記録して今に伝えていると言うことも無いようですし、昭和の戦後部分に至っても、どこかにあるのでしょうが、少ないでしょう。けれど、今なら自分の鼻汁は言うに及ばす、喀痰や糞便に至るまでデジカメで記録している人は居るのではないでしょうか?
かつてのアナログ写真では「選ばれる」はずものないものまで残せるデジタルカメラというのは、なかなか素晴らしいと私には思えます。
もはや「デジタルでは写真はうまくならない」なんて言葉に説得力はありません。デジタルかアナログかという二者択一二元対立論など、なんの意味もなさなくなってきています。「写真」という行為をするにあたって、デジタル・アナログどちらかを選択するというのは、あまり意味をなさない事のように思えてきています。現にデジタルから写真に入って銀塩写真に至る若い人は沢山出てきています。私がインクジェットプリンタのヘッドが写真を描き出すのを初めて見た時と同じ驚きを、彼等は現像液の中から浮かび上がってくる画像を見て感じるのです。どちらも「へぇ~!写真ってこうやって"も"出来るんだぁ!」
朝起きてふと思ったことを書いてみました。もっとも、こんな話しを今頃している時点で、やや世の中から遅れている感もありますね。最初から分かっていた人は分かっていたのですから。
写真薬剤をスイッチ ― 2007/11/22 20:59
環境を考えてとか身体への影響を考えてとかを大上段に振りかざすつもりはないのですが、今まで馴染んできた写真薬剤を少しずつ低公害・低毒性のものにスイッチし始めています。
フィルム現像液については発売当初からコダック・エクストールとフジドールEに切り替えてきました。停止液はクエン酸で。しかし定着液についてはなかなかスイッチできませんでした。また印画紙現像についても、現像液はイルフォード・マルチグレード・ディベロッパーを使い続けて来ましたし、定着液はネットで公開してくれている低臭性のものを自家調合して使っていました。
次回からフィルム現像については、現像液は引き続きエクストールを(コレクトールEはディスコンになってしまいました。残念!)停止液はクエン酸を定着液については、グレイス扱いのフィックス・ニュートラルを使って行く事にしました。印画紙現像についても、現像液はコレクトールE、停止液はやはりクエン酸、定着液もやはりフィックス・ニュートラルで当面やって行こうと考えています。
時代の要請としてやはりできるだけ低公害・低毒性のものを使うに越したことはないでしょう。私などはさしたるこだわりもないし、薬剤へのこだわりは幸いなことに全くないので、すこしコストはかかるものの、これらの薬剤へのスイッチを試みています。
マイナーどころとしては、他にもこちらに低公害・低毒性の薬剤を扱っているお店があります。
A-Power Incのsilvergrain
個展開催なんか恐くない ― 2007/11/26 18:14
「個展なんて大変でしょう?」と言われます。はい、大変なんです、何でかって言うと私は貧乏なくせになまけ者だからです。
個展開催に必要なものは
1.お金をそれに支払うという気持ち。
2.お金もしくは勤勉さ。
ってところじゃないでしょうか?私のようななまけ者には大変なんですが、情熱のある人なら呆気なく簡単にできてしまいます。なまけ者でもお金があればやはり簡単です。
ライカ一台分のお金があればそれはもう立派な個展が開催できます。半分でもできます。その半分でも多少工夫すれば出来ます。長い時間手元に残ってモノとして形のあるカメラなどには容易に資金をつぎ込めますが、個展のようにその時限りのものにつぎ込むのは容易ではありません。でも、それをするかしないかで、写真作家か否かと言うことが割合かんたんに分かれるものだと思っています。「個展をしなくちゃ写真家じゃない」とあちらこちらのギャラリで聞きました。そうだと思います。もちろん個展をしたからだから写真家だとも言いにくい部分はありますが、少なくとも写真家を名乗るなら個展の経験は必要でしょう。
コンテストに入選し続けるのも素晴らしいウェブサイトを構築するのも無論立派なことです。でも銀塩写真を標榜しているならやはり現実の「モノ」として写真を制作しギャラリに飾って世に問い、ディーラーに値段を付けてもらうという事もまた、地味に大切なことではないかと思います。
さて、個展をするために最低限どんな費用が必要でしょうか?
ひとつはギャラリの使用料。
これはもう絶対でしょう。無論、無料で使えるところもありますから、そこはお好みでと云うことで。有料だから偉い無料だから偉くないと云うことはありません。ただ、無料であったり公共のギャラリであったりする場合は作品を販売することは出来ない事が殆どです。このあたり「作品に値段が付く」という比較的重要な要素が欠けてしまうと言う事は否めません。
次にパブリシティのための葉書・フライヤー等の準備と発送。
これは軽視されがちですが、これをどれだけきちんとやるかで、観覧者数が決まってきます。多くの人が見に来てくれると言うことは、それだけ作品が売れる確率も高まると言うことですから、手を抜いてはいけないことです。
あとは作品の制作費用。
最低限プリントが必要です。印画紙代+薬品代ですね。あとはこれにマット装ならマット代金。マット装を外注すれば手間賃が必要です。フレームに収めるならフレームの購入費もしくは賃借料。このあたりは自分の作品スタイルと相談してと云うところです。お金がないからフレームに入れないマット装しないというのは、本末転倒だと思います。むき出しで壁張りするならそれをする理由が必要になってくると思います。要するに自分の表現が求める事をしなくてはいけないんじゃないかと思います。
大まかに言ってしまえばこれだけです。これだけで写真展は出来ます。それにこれが鉄則というわけではないです。ただ、結構これが基本的な事柄かなぁと三回個展をやってみての、現在の頭の中です。
あと必要なのは、どこまで妥協しないかという根性とどこまで妥協するかという度量ってところですか?これだって別になくっても、ギャラリがやってくれます。あるならあるにこしたことはないって言う程度です。
せっかく写真を趣味にしているのなら、一度やってみましょう。やみつきになること間違いありません。お芝居の舞台のようなものです。三日やったらやめられないってやつです。
今回の会場にしたグレイスは、まだ出来たばかりのギャラリで固定客も少なく、パブリシティもまだ少し弱いところがありますが、費用が安くしかも初心者へのサポートは万全なギャラリです。初めて個展を開こうかという人にはとても敷居が低くだからといってレベルが低いと言うことはありません。それは開催された写真展を見て頂ければわかることです(自分もやったので、ややおこがましいですが)。
いかがでしょう?あなたも個展をやってみませんか?
無臭暗室作業 ― 2007/11/28 09:45

無臭低公害の薬品に完全に切り替えて初の暗室作業。京都How展のためのプリントを作りました。
コレクトールE・クエン酸溶液・フィックスニュートラルの組み合わせでしたが、快適この上ないものでした。もともと広い暗室なのでそうそう臭気がこもることも無いと思っていたのですが、切り替えてみて実はこもっていたのだと言うことに気付きました。停止液バットや定着液バットに覆い被さっても無問題、頭も痛くならず苛々も起こらずでした。
今回はイルフォードのFBウォームトーンを久しぶりに使いましたが。液温22℃でのコレクトールE1:1希釈では、意外な青みが出てむしろ冷黒調?に見えて仕方の無い色味になりました。私の眼がおかしいのでしょうか?だからそれが悪いと言うものではありませんので、このまま他のプリントも処理して行こうと考えていますが、そうじゃなくてもそれはそれで構わないかなぁなんて、妙な欲もあるにはあります。
ちなみに、富士のレンブラントVはこの非MQ非PQ現像液と相性がよいとの話しを聞いたことがあります。相性が良くてその結果がどう出ているのかという事は書かれていなかったのですが。
一連の処理に関しても、乾燥の終わったプリントの面状も、従来との差異は私にはわかりませんでした。そのまま置き換えも構わないものであると思います。ただし、眼の肥えたこだわりのある方はやはり違いを感じるでしょうから慎重になられた方が良いかも知れません。
とにもかくにも快適です。無臭低公害にあまり意味を見いださない本末転倒じゃないかと思われる方も一度おためにしなってもよろしいかと思います。
私の暗室は、暗室と云っても、スタジオにもなり宴会場にもなり、読書もすれば居眠りもるしという、普通の部屋ですから。この恩恵はおおきなものがありました。もう戻れないでしょうね。
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