あけましておめでとうございます。2010/01/01 21:06

 あけましておめでとうございます。本年も、うろぼろす堂、何卒よろしくご贔屓にお願いいたします。

 除夜はとても美しい月夜でした。暗室の窓を開放して月の光を招き入れると、それは神々しい照明となって、暗室はセーフライトの時とはまた違う、幻想的な雰囲気になりました。

 写真は"Photography"つまり「光画」=光で描いた画ですが、古くはジョセフ・ニエプスが発明した"Heliography"「ヘリオグラフィー」につながって行きます。これは太陽で描いた画という意味ですね。
 もし月光で写真を撮ったら(そういえば「月光浴」という写真集が一時流行しましたね)太陽=heliosに対して月=Seleneですから"Selenegraphy"とでも言うのでしょうか?

 写真で月光と言えば、それはもう三菱印画紙の「月光」に間違いないでしょう。銀塩の月光はなくなってしまいましたが、プリンタ用の、それもモノクロ専用紙として月光はよみがえっています。私が昨年末の写真展で使った用紙ももちろん月光でした。

 少し穿ったところで言うと、昔の露出計に使われていたセレン光電池。そのセレン光電池に使われていた元素であるセレニウムは、Selenium…つまり「月の元素」って訳です。面白いつながりです。

 さて、月の光と冷たい空気に満たされた暗室で、愛用の機材たちを眺め、感慨に耽っていました。あとどのくらいこれらの機材とともに写真を作って行けるのか?先行きは全く不明ですが、太陽光のようにとは言いません、せめて月の光程度でも良いから、これから先の、写真の、特に銀塩写真の行く道を照らして欲しいものだと、祈りにも似た気持ちになりました。

 今年もいきなりテンションが回復すると言うことはないでしょう。しかし写真活動は決して表現することだけでは無いと思います。写真展の裏方に回ることも、作品をコレクションすることもそれはもまた写真に関わる活動です。

 今年はそんなふうに、メインストリームを少し離れたところを歩くのも悪くはないのかな?と思いました。

今年の写真活動を思う。2009/12/31 17:45

 事あるごとに「今年は駄目だ」を繰り返してぼやき続けたうろぼろす堂亭主です。その今年もとうとうおしまい。なんだかあっけないような感じまでします。

 まったく盛り返すことが出きずに居ますが、それでも最低ラインの年二回のイベントには出品を果たし、とりあえず、新しい事もやってみて、低調ではあったものの、全く意味のない一年になるということはありませんでした。

 今年はある理由から、スクエア画面がとっても嫌いになってしまい、でも6×7も嫌いだし…ということで、セミ判縦位置ばかりで撮ると言うことになってしまいました。もっともその嫌悪感もあまり続かず、また来年はスクエアで撮るだろうなぁと言う気がしています。

 カメラは劇的に増えませんでした。富士GW645iとGF670という富士のカメラ二台だけ。デジタルはDP-2のみ。ただ、それらの周辺機器としてDELLのネットブックやモニタ、それからPX-5600などを調達しましたので結構今年も機材に使ってしまいましたね。
 暗室ではなんといってもフォコマートV35が白眉です。これは素晴らしい。ただまだあまり使っていないと言うのがいけません。

 今年の締めくくりにと、先程の夕暮れ、某所へ撮影に出かけたのですが、やはり今年らしく、思うようなシーンではなくてボーズとなりました。やれやれ、本当に今年の撮影は最初から最終まで冴えないものだったなぁと思います。

 あと6時間ほどで今年も終わり。皆さん良いお年をと言った数時間後には白々しくおめでとうございますと言うことになるのでしょう。連続する時と言うものに区切りを刻もうとする愚かしさを自嘲しながら、今年一年を終わろうと思います。

 それではみなさん、よいお正月を。

MOZZ 2nd Photo Exhibition "pandemic"2009/12/06 01:22

横長になってしまいました。
 先の11月28日、千秋楽を迎えたMOZZ 2nd Photo Exhibition "pandemic"展にお邪魔して拝見しました。

 MOZZ、1stの「ぷらなりあ」から1年半ぶりの写真展でした。

 今回はメンバー三人の調和がよい意味で取れていて、非常によくまとまった写真展になりました。意識して合わせたわけではないとのことでしたが、それぞれのつながりが良く、これはこれでまた良いものだと思います。個性がぶつかり合うもよし、こうやってとけ合うもよしです。それはその時の出た目で良いと思いますね。全体のレベルがこうやって一定以上を保っていると。

 写真はそれぞれのメンバーが真摯に向かい合っているのがよくわかります、相変わらず非常に丁寧に写真が作られています。特に彼らは、プリントだけではなく、プレゼンテーションの技術にまで非常によく気が配られています。私にはそれも気持ちがよいです。

 変なパノラマ写真ですが、これを見て頂くと、写真展が非常に端正に丁寧に作られていて、奇をてらったところがありません。見せる技術は基礎の基礎、その上に、写真の内容で見る人の気持ちをどう動かすのか?というところで勝負という彼らの姿勢が能く見えると思います。

 今回の写真展の作品ではありませんが、竹歳さん、福永さんの作品を一点ずつコレクションのために発注しました。今回から、カメラに無駄づかいせず、少しお金が貯まったら気に入った作品を買って行こうと(高価な作品は買えませんが)考えています。その第一歩とさせて頂きました。竹歳さんは去年の6-Motionの時の、福永さんは個展「 Distance 」の時の作品です。出来上がりが楽しみです。

追記2009/11/16 09:40

 昨日のエントリで「意識してこだわりや偏りを無くして行こうと考えています。」と書きましたが、まだ詰めが甘かったですね。

 目ざすところは、「『意識してこだわりや偏りを無くして行』く事にさえこだわらない。」ということになります。拘りを無くす事にも拘らない。って訳です。

 ここ二日で読んだ島田荘司の「龍臥亭事件」の中に「この国の民は恐ろしい鬼しか尊敬しない」と言う台詞があります。

 まったくその通りだなと思います。

 老いも若きも鬼になりたがる。そして鬼しか尊敬しない。その通りでしょう。

 私はそういうところとは距離を置いてきましたし、これからはもっと距離を置く事になるでしょう。

「さて…2009/11/15 20:20

…どこへ行こうかしらね。ネットは広大だわ」。
 そう言って人形遣いと融合した草薙素子は、ネットへと姿を消しました。しかし、こうも言い残しています。

「あなたがネットにアクセスするとき私はいつもあなたのそばにいる」

と。

 実態としての自分に拘らなくても、そこかしこに自分は存在する。この言葉を私はそう理解しています。そして、若干強引ではありますが、それは私が思う十牛図の「忘牛存人」に通じるものでもあるように思えます。


 50歳になりました。

 そして、プリンタとプリンタ用印画紙を注文しました。
 ここで一気にデジタルへ移行する…積もりではありません。今、プリントしたい作品が、ネガフィルムではなくてデジタルカメラで撮影したデータとして存在しているからです。
 これを年末のHOWに出すかどうかはわかりません。うまくプリントできるかどうか、プリントに耐えうるデータであるかどうかもわかりませんしね。

 今までも何かに…たとえば、銀塩写真やスクエア画面に、また路地写真やノルタルジックに…さして拘ってきたわけではありませんが、これを機に、意識してこだわりや偏りを無くして行こうと考えています。
 スタイルが完成されていたのではありませんから、ますますスタイルのない写真を作り出す事になるかも知れません。でも、それでもまぁいいやと考えています。ことさら自分に拘らなくても、自分のアイデンティティは保たれ続けるでしょう。何をやっても、どんな作品を作ってもそれが自分である事に間違いはないのでしょうからね。

 私は自由なのだし、自分の創作するものも自由なのだと確信しています。誰のためでもなくまた自分だけのためでもなく、しかし自分自身の手によって作り出すものは、それは紛れもなくまた自分自身の姿です。

 さて、私は広大な写真世界を漂いながら、たまにぶつかる何かと融合を繰り返し、その都度、作品を作り続けたいと思います。あとどれくらいの時間が残っているのか、はなはだこころもとない事ではあるのですが。

篠山紀信家宅捜索2009/11/10 15:45

 なんだかなぁ…良い子チャンがいっぱいという感じがします。いいじゃない、こんなくらい…。

 この国、行政が街頭に裸婦のブロンズ彫刻を置き、それに対して猥褻だ不愉快だと市民が文句を付ける。市民、それも一定の評価を得ている写真家がヌードを表で撮影すると猥褻だと行政が取り締まる。
 その尻馬に乗って「迷惑を被った」と企業は実に良識ありげなステートメントを発表する。
 なんと理性的で素適な国なのでしょう、まるでアメリカのように。

 国が経済的に磊落してくると、人民は萎縮し人心は荒廃し、他者の些細な失敗をこれ見よがしに叩きます。ブルーハーツの歌う「弱い者達が夕暮れ、さらに弱い者をたたく」という訳でしょうか。
 少なくともバブル期にはこういうことはなかったように思います。つまり貧乏人が増えるとこうなるんだという事でしょう。

 いずれ、テロばかり繰り返してるイスラムの貧困国家みたいに不寛容で芸術の無い、干乾びた国になってしまいそうです。

 今、この国は叡智や理性そして芸術の黄昏を迎えているように思えます。ミネルヴァの梟は飛び去り、ミューズはその笛を投げた。

 なんともはやイントレランス(不寛容)な事かと思います。
 篠山紀信、相変わらずカメラ小僧なのかもしれません。許可を取る云々の常識的な話しはおいといて、私は篠山の肩を持ちたいですね。

などかはおろさぬおえるおもにを2009/10/29 09:12

 先週の土曜日に中学時代の友人達が飲み会に誘ってくれ、ひととき楽しい時間を過ごして来ました。

 ちょうど、古いネガを整理していて、駄洒落じゃないですがそれこそネガティブな事ばかり思いだして、ひとり落ち込んで苦悶しておりましたが、それらが随分とカタルシスされました。

 そのネガティブな記憶の内容が自分が思うほどネガティブじゃないって事が、昔話をするたび友人達によって証明され、そのしんどさが次々と消去されて行きます。
 私は自分の子供の頃の事をあまりにも今の物差しで測りすぎていたのでしょう。でも、その頃にはその頃なりの真実があった訳です。

 子供の頃…と言っても、とてもデリケートな思春期の…ある一定の期間に同じ時間と空間を共有したという事実の強さ、そして忌憚無く…それでも大人としての配慮を持って…話しのできる友人の存在というのは、なんと有難いものかと思いました。

 キリスト教者じゃなくても知っているあの有名な賛美歌312番の一節に、「などかは下ろさぬ負える重荷を」とあります。その前節は「心の嘆きを包まず述べて」となっているのですが、今までその意味を「苦悩を告白して楽になりなさい」という呼びかけだと理解していました。それも間違いではないのですが、正確には「なぜ苦悩を告白して楽にならないのですか?」と、もっと強く呼びかけているのですね。

 まさにそんな気分です。一人で勝手にネガティブな記憶として定着されそうになっていた事が、語り合う事によって、浄化され、救われました。

 ともあれ、実に楽しい時間を過ごせて、過去が浄化され、随分と気分が清々しいです。このまましっかりと整理と保存、そしてプリントの作業を続けて行きましょう。あまり沢山のフィルムがあるわけではないのですが。
 
 当日の友人達のブログはこちら…

おっじーのボケ防止
http://blog.goo.ne.jp/diver-1960/e/a1cc34c6b865ad9d549ef01e406ffa76#trackback-list

mint※memo
http://blog.goo.ne.jp/miya0310/e/d67b2472b2030b05fa0515e9c4accbbe#trackback-list

カラーを撮らなくなったのは…2009/10/26 18:37

 "写真にまつわるモノコト"のpbさんが怒っています。詳しい事はかれのエントリー
http://photoboze.exblog.jp/12738897/
 を読んで頂くとして、私も似たような理由で…私の場合はフィルムのカットの仕方で…とうとうラボとの付き合いを止めました。カラーは撮らない、色素画像フィルムも使わない。
 決して、写真にあるような、イエローカードをいっぱい食らったからだと云うわけではありません(多少有るかも知れませんが)。

 ラボは会社です。そして働いているのは写真の事を理解している職人さんじゃない、自動現像機のパーツもしくは端末に過ぎないのです。
 云われた事しかできないしやらない、またやれない。客の味方をして会社に睨まれたり職を失ったりすよるよりは、客の事など考えないで会社の云う事を唯々諾々と受け入れて守っていればよいわけです。しかもその会社の考えというのが恐ろしくスカタンなので、どうしようもない訳です。

 ラボが常に安定して必ず同じ答えを出してくれば、こちらも撮影機器の一つとして利用の仕方を心得て使うでしょう、ところが、不安定さだけは人間並みなのです。
 今までやって来た事がいきなり方向転換され、過去の事は知らぬ存ぜぬなんて事は当たり前に起こる。現像の結果も安定しない。時にフィルムの扱いが悪く傷が入る、スライドのマウントは紙になったりプラになったりメーカーが変わったり…。無論、イエローカードの基準もめちゃめちゃです。そこを突いたところで、向こうはひたすら頭を下げながら、黙んまりを決め込むばかりです。

 ほとほと嫌になり、ラボの世話にならざるを得ない(自家処理をする気はありません)カラー写真は止め、色素画像フィルムも使うのを止めました。カラーは自分で自分所有の機械を使ってやれるデジタルだけにしようと考えた訳です。

 もっとも、まだデジタルカラー写真をやってはいませんけれどね。

 それにしてもラボはどちらの方向を向いて仕事をしているのでしょうかね。こんなにフィルムの仕事が減りっても、まだこんなことをしている。これでは早晩、滅亡してしまうでしょう。もしかしたら、それをラボは望んでいるのかも知れません。嘆かわしい事です。

過去のネガが苛む2009/10/20 15:35

 ネガの劣化について前に書きましたが、その時に、中学~高校時代のネガの全てに目を通しました。実に多くの事が写し込まれ、その毒気に当てられたのか、次第に気分が悪くなり、全て見終えた時は吐き気がして往生しました。

 以前に「思い出したくない過去は小学生の頃だ」と云っていましたが、今回、それどころでは無くなってしまいました。

 写真についても「自分の生きてきたという証明だ」と云っていました。しかし今、そんな証明などしたくないと思っています。

 なぜこんなに過去のネガを見ると気分が悪いのでしょうか。確かに人間というものは良い記憶よりも悪い記憶の方がしっかりと残るものです。戦争や自然災害の恐怖を語る人は多いですが、昭和元禄やバブル景気の頃の楽しさを語る人は少ない。悪い記憶をたどれば、今がその頃よりはましだと思えて、安心できるからでしょうか?

 中学高校から10年後あたりのネガも少し探ってみたのですが、結婚式や友人家族の写ったネガが多く現れます。しかし、その中には既に離婚してしまったりして、ばらばらになった家族も多い。本人に高い値で売れるなと言うような…むろん冗談ですが…そんなネガも幾つかあります。やはりこれなんぞも、記憶は苦く酸っぱくまったく良い気分ではありません。

 人間、そこそこの年齢になると全身傷だらけです。猫も鯨もそうです。生きると言う事は傷つき次第に壊れて行くというだけの事、記憶もまた然りで、恥とトラウマばかりが増えて行きます。僕が死ぬ時というのは、恥とトラウマに押しつぶされて死ぬのだなとわかりました。

 写真は表現でも記録でもなく、生きてきた過去の残滓なのかも知れません。古い皮膚のように剥がれ堕ちて行くもの。美しい肌も新陳代謝をして垢を落としながら命脈を保つ訳で、しかし垢は垢で美しいものではありません。そんな垢を拾い集めて分類して保存してあるとすれば、たとえそれが美しい人の肌から剥がれ落ちたものであっても、それは汚く気分が悪くなるのも当然なのかも知れません。

 写真は真実を写すものでもなければ光で描いた画でも無いかもしれませんが、しかし表に出ている限りのありのままを写しとり、そこに結びつく記憶とで構成されたものではある…そう思い始めています。

 とにかくネガボックスには膨大な過去が詰っています。ネガボックスを探ると、その過去が今の僕の整理を拒否し、してきた事の帳尻合わせを要求して来ます。都合よく美しく整理されおとなしくエクセルに登録されるなんて事はなかったのです。

 ネガの整理が気の重い…というか、精神的に耐えられるのだろうか?という作業になってきています。でもネガの劣化は待ったなし。今できる最良の選択は出来るだけ速く整理し、必要なものだけプリントし、あとはデジタル化し、保存できる状態にしてから封印してしまい、過去に耐えられるようになったらそのとき再び封印を解くという事かも知れません。それにしても、かなり時間と労力とお金のかかる事ではありますが。

 いい歳になってこんな事になるなんて、思ってもみませんでした。

手間こそが写真だった2009/10/14 20:28

 写真家のtake1mg氏のブログ、毎回静かに深い洞察が延べられているのですが、今回のエントリーは特に箴言でした。実にはっとさせられるものでした。

 "モノクロを始めて、写真は手軽でなくなった。むしろ面倒くさいものになってきた。スマートなものでもなく、ちょっと野暮ったいくらいの地道なものになってきた。"

 いままでそんな事を考えた事もありませんでした。中学生の頃、いきなりDPEから写真を始めた私は、それが写真だと思っていました。だから若い頃にはDPEに何のストレスも感じなかった。ところが今になってこれらの行為がとても面倒になってきてしまいました。「なんでこんなに面倒くさいのだろう?」と、今年なんぞはほとほと嫌になってきていたのですが、そうでした、面倒くさいのが写真なのでした。

 面倒くさくない方法を模索するのは、僕にとっては逆に写真から離れる事になるのかも知れません。だとすれば面倒を厭うて手間を省く事を考えるより、その面倒さをより楽しくスマートに、快適にこなせるようにする方がきっと良いのでしょう。

 彼は私より若く、おそらく写真の経験も私より少ないでしょう、しかし写真という行為を捉えると言う事については、私よりもずっと高みを、また真実に近いところを飛翔しているのだと思いました。

 去年の2nd6-Motion"R"展に出品された彼の作品のなかに、背の高いススキの原にたたずむ女性を撮ったものがありました。穏やかで静かな、それでいて魂を感じる名作でしたが、そうか、この洞察があの作品を生むのだな、そう思いました。

 今の私にはたいへん心に響く一文でした。