新年のご挨拶を申し上げます。2011/01/01 23:59

 明けましておめでとうございます。
 今年の正月は三年ぶりに木曽の別荘で過ごしています。

 去年も写真活動は低調でした。カメラにもフィルムにも食指は動かず、これといって入れ込める被写体は見つからずでした。
 今年もさして変わらないのかも知れませんし、そうではないかも知れません。そのあたりはもう成り行きでしょう。

 今年はある程度デジタルへの移行を考えています。主力の引き伸ばし機が壊れてしまったということも、そのきっかけのひとつです。
 もちろん、それもこれも、どうなることかわかりません。

 まぁあんまりガチガチにならずにやろうと思います。どうせ銀塩をすっかり放棄するなんてことは出来るわけもありませんからね。

 それでは皆さん、今年もどうかうろぼろす堂をよろしくお願い致します。無論、今年も大阪写真月間にも、京都のHowにも出品します。また画廊喫茶エコーでの写真展も考えています。

どの程度でバランスを取ろうか?2010/10/01 10:45

※きょうからですます調をだである調に変えます。ご容赦下さい。
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 ここのところホームセンターに行くたび、Amazonを覗くたびに、スコヤだの直角定規だの、金指だのT型定規だのの前で脂汗を流している。

 というのは、ブックマット制作の際、制度の高い定規を使うべきか否かと言うことで迷っているのだ。

 今出ている結論から言えば、そんな高精度なものは必要ないのだが、悪い癖でどうしても考え込んでしまう。

 まず、そんな高精度の定規を使ったところで、他とのバランスが取れないのだろうと思うのだ。
 そもそもマット紙やミュージアムボード自体しっかり角が直角になっていない。本気でやるならマット紙自体を切り直さなくてはならない。そうしたところで、フレームも歪んでいる。また精度の高い窓抜きのガイドラインを引いたところで、自分の手でカットする時点で精度は落ちる。どうやったところで多くの要素が精度を落とすことになる。

 無論、それでも高精度な器具を使って作業をすればより制度の高いものができることには間違いないだろう、しかしそれで費用対効果があったり時間や手間をかけただけの効果が出るかといえば、どうもそこまでは出そうに無い。またそれが有意な差として現れれるかどうかも疑問だ。

 自分の目で見て、まぁいいだろうなと言う精度まで詰めていけたら「そんなもんでええがな」と思う。

 実際、外国の有名な写真家の作品でも、マットは結構乱暴に切ってあるし印画紙も驚くほど波打っている事が多い。日本人のアマチュア作家の方が余程精度の高いブックマットを作っている。ではそれが作品全体の品位にどれだけ寄与しているもしくは阻害しているかといえば、どちらもそうでもないなという感じを受ける。

 まぁきっと「そこそこ」で良いのであろうなぁと思う。無論、高みを目指すことに異を唱えるわけでもないし、それを貶めるつもりは皆無で、むしろそれは賞賛されるべきものであると思う。要はバランスを取って全体の底上げを図る必要があると思うわけである。それこそこの問題にはネガキャリアマスクやイーゼルマスクの精度から関わってくるもなのだと思う。バランスを取ることが合理的なのではないだろうかと思うのである。

未現像残りあと8本2010/09/27 22:57

 溜まりに溜まっていた未現像フィルむですが、やっとあと8本というところまでやってきました…あ、今日、一本撮影したから9本ですね、まぁいいかタイトルはそのままで。

 ヨドバシも別注すればエクストールを送ってくれるので、ケミカルも問題がなくなってきました。消耗材は総てヨドバシの通販で手に入るようになりました。

 楽ですね、通販でみんな手に入るようになると。

 さて、今週中に、すべてやっつけてしまいたいですね。

憑き物が取れる2010/09/21 11:27

 昨年の一月から長い不在だったと思います。やっと憑き物が取れて写真行為をする気になってきました。

 取れてみれば、なんであんな事でと思うのですが、まぁそういうものなのでしょう。

 とりあえず、古カメラを"新調"しました。それが何かは意地悪なので言いません。どこにでも転がっているありきたりのカメラです。ヤフオクで二束三文で手に入ります。
 もっとも買った途端に壊れて修理行きですが、その間使えないのも嫌なので代わりにもう一台落としました。それくらいのカメラです。

 現実にはコビの介護がのしかかってきていますから、まだまだゆっくり撮影に行く時間はありませんが、まぁ行ける範囲をちょろちょろと行くつもりです。

 改めて手元にあるたくさんのカメラ。使わないのですから、誰かに譲って使ってもらうなりするのが、カメラとして活かすことなのでしょうが、でも、それは嫌なのでやりません。タンスの肥やしにします。というか、これらの肥やしがあるから、今の自分があるわけで、身の回りをシンプルにすることは一見格好いいし、それが正解のように世の中では喧伝される。だから、嫌なんですね。世の中の多くの人がこうだということを受け入れるのは嫌。
 だから自分のカメラ、全部、保管庫の肥やしにします。後宮は大人数なほど良いのです。

 今週は二日出勤であとは休みです。その間に好きなだけ好きなことができるなぁと思い、楽しみです。

それはdéjà-vuではない2010/06/06 21:05

 今、ネットには写真関係の多くのサイトが有り、ブログが有り、ここにきてはtwitterもその存在を目立たせている。そこでは(無論僕を含めて)みながいっぱしの写真論客だ。

 それぞれを読んでみてそしていつも妙な既視感を覚える。そんなはずは無いと思っても、やはり因われてしまう。そしてもっとよく自問してみる「これは既視感か?」。
 そして得る答えはいつも「それは既視感ではない」ということだ。既視感ではなく、かつて自分たちがPC-VanやNIFTY-Serveでさんざんやってきた事とほぼ同じなのだ。既視感ではなく、かつての自分たちが20年以上も前にわぁわぁやってきたこと、その同じことをなぞり、いままたやっているに過ぎない。

 パソコン通信の経験はインターネットには引き継がれていない。彼らは繰り返している感覚なんかない、初めてのことなのだから。しかしあの頃を経験した我々には、もういい加減うんざりする事だったのだ。

 すでに答えが出ている事を、また新たになぞっているに過ぎない。そんな文章にはしょっちゅう出会う。そしていつもうんざりしてしまうのだ、20年前にやったことを、多くの人が主張していたことを、またやってる…

 ここ一年くらいに感じ続けているこのうんざりした感覚はこれだったのかとわかった。そうだったのだ。
 そう思うと、我々がパソコン通信でさんざんやりあったことは、それ以前の別のメディアで、もっと前の世代の人がさんざんやりあったことであろうことは想像に難くない。
 世の中は螺旋階段上に変化なんかしてない。おなじ場所をぐるぐると廻っているに過ぎないのだ。先へ進む、もしくは上へ登るのはそこからスピンアウトした者だけだ。

 そろそろこの馬鹿げたコーカス・レースから離脱するべきであろうということにやっと気づいたような気がする。最新のメディアだからそこで開陳される思想が最新のものとは限らない、なぜこんな簡単なことに今まで気づかなかったのか?

 それは自分が馬鹿だからだ。

今日は写真の日2010/06/01 17:16

 でも本当は、今日じゃなかったらしい。

http://www.psj.or.jp/gekkan/about/gekkan2003.html

 でもまぁ、それでも写真の日があるだけで、なんだか気分がいいから構わないでしょう、まったく。

 今、大阪写真月間で作品を展示してもらっています。モノクロ写真…おっと、モノクロ"銀塩"写真です。
 モノクロに置いてもデジタルの方にアドバンテージが有る現在、なぜ銀塩ウェットプロセスのモノクロ写真なのか?と問われれば、それが趣味だからとしか言いようがありません。

 いろいろと理屈を言えといわれれば、ありますが、もうこんな年齢だしそういうことも面倒くさくなってきています。まぁつまりは好きなのですね。面白い。無論、同時にデジタルもまた面白いのですけどね。

 どちらがどうなんて真剣に論争するのは…わかっていて遊びで論争するならともかく…ライカコンタックス論争でも無いですが、そんなものアホらしいだけです。どっちだっていいじゃないですか?好きな人が好きなように写真作品を作って人に見せて見た人がこれが好きあれは嫌いと楽しめばいいのではないでしょうかね。

 銀塩写真を見て「え?こうやってでも写真って作れるの?」ってびっくりする人がそろそろ現れて来ているんじゃないか?なんて事も思います。それをまた面白いと言う若い人も出てくるかも知れません。

 写真作品を作るに至る路は一つではない。かつて一つだったときにはお金や技術やなんかで序列ができてつまらない人物が幅をきかしたりしていました。でも今はだれもが簡単に目的にまでたどり着けます。それは素晴らしいことではありませんか?

 私の住んでいる街の少し南に生駒山があります。生駒山へ登るには人道を歩いてゆくも良し、阪奈道路から信貴生駒スカイラインを車で行くも良し、ケーブルカーもあればMTBでも行けます。生駒山から大阪平野や奈良盆地を見る、そこへ至る手段はがいろいろと選べるなんて楽しいことでしょう?

 写真も作品を作る手段がいくつか選べるってのは、それは実に豊かなことだと思うのですね。
 多様性を認めてたのしくやりたいものです。排他的になるのは、嫌ですね。

 さて、そろそろ夕暮れです。写真の日の一枚を撮影に行ってきましょう。やはりフィルムで撮っちゃいますけどね。

やっと表紙入れ替え。2010/03/11 16:57


 長らくそのままだった表紙の写真を入れ替えました。
 今回もGA645i。フォーマットはセミ判縦位置(セミ判は縦位置がデフォルトだと思うのでただ「セミ判」と書けば良いのかも知れませんが)です。やはり縦位置の方がしっくりと来ますね。セミ判と6×7は。

 この写真を撮ったのは去年、2009年8月15日です。このときに買った醤油と金山寺味噌が殊の外美味しかった。今、18切符のシーズンなので、それを買出しに行くためだけにまた御坊を訪れても良いかなぁと思っています。

 私は比較的ヒステリー性格で春になると妙に胸騒ぎがします。多くの撮影イメージを想起するのも、比較的春から夏にかけてが多いように自分で感じます。
 今、頭の中にあるのは「境界」。特に二つの世界の交わる場所やひとつの世界から別の世界へ移行するその境界がとっても気になります。
 たとえばそれは、路面電車の併用軌道と専用軌道の境界であり、踏切であり、川の源流なども私は境界と感じます。辻もそうだし橋もそう、そんな境界を少し意識して撮影してみたい。そう思いますね。

Have A Nice Day2010/02/16 22:51

 すっかり凋落した感の有る富士フィルムですが、1970年代には国内寡占状態でした。どこへ行っても緑のフジカラーしか無かったような?

 このCMは当時、「結婚しようよ」や「旅の宿」が大ヒットして超有名になっていたよしだたくろうが作ったフジカラーのCM曲で、たしか1972年か73年頃だったかと思います。当時中学生だった私はニコマートFTnを買ってもらい35mmF2でがんがん写真を撮っていました。

 いまはすっかり歳をとってしまいましたが、もう一度あの頃にように胸の躍るような、また締め付けられるような撮影をしてみたいと思いますね。

MOZZのみなさん来たる!2010/01/20 08:33

 先日17日、拙暗室に写真家集団MOZZのみなさん、竹歳豊さん、小松里絵さん、福永洋介さんが来てくださいました。

 去年、購入した作品を届けがてらのご来訪。とりあえずコケオドシの機材は表に出ているものの、細部にていい加減な手抜きをしていることがバレはしないかとひやひやでした、なんせ、お三方とも去年は少なからぬ写真展をこなしているわけで、死に体のこちとらとは、もう生気が違います。

 短い時間でしたが、いただいたケーキを切り分けてお茶にし、楽しく過ごさせいていだきました。お茶のあとには、近所を撮影がてら散歩に出ました。ここ、重要です。ちゃぁんと撮影の事を考えていらっしゃる。私はボケーっとしているものですから、そんなことは考えてもおりませんでした。おかげで、自分の住まいの周囲の環境がずいぶんと変わってしまっていることにも改めて気付かされました。

 やはり、全身が写真で満たされているような方々と過ごすと、いい刺激になります、俄然、写真を作ろうと言う気持ちが甦ってきました。

 お三方、どうもありがとうございました。次回はお花見をいたしましょう。

大阪写真月間20102010/01/05 23:25


 お正月が過ぎると写真月間の案内が送られてきます。さぁ、今年もやらなくちゃなとちょっとばかり気が引き締まります。

 ほんとうに去年はほとんど写真を撮っていないし、未現像フィルムもまだ山のようにあります。こんなことで今年の始動が出来るのかと不安になりますが、そこはそれ、個人の道楽。ダメだったらダメで「これでいいのだ」という事にしちまえば良いわけで。あまり力むのはやめましょう。

 フォーマットは再び6×6に戻すつもりをしています。自分の「型」の中で作品を作る方が、内容を深めやすい。余計なことに手間を取られなくても済むと言う利益が有ります。もっともマンネリのなれ合いにある危険性も大いに有ります。

 さて、写真月間。半年近く先ですが、そんなものあっという間にやってきます。頭の中にいっぱい溢れている構想をちゃんと形にしてゆきたいものです。