どの程度でバランスを取ろうか?2010/10/01 10:45

※きょうからですます調をだである調に変えます。ご容赦下さい。
---------------------------------------------------------

 ここのところホームセンターに行くたび、Amazonを覗くたびに、スコヤだの直角定規だの、金指だのT型定規だのの前で脂汗を流している。

 というのは、ブックマット制作の際、制度の高い定規を使うべきか否かと言うことで迷っているのだ。

 今出ている結論から言えば、そんな高精度なものは必要ないのだが、悪い癖でどうしても考え込んでしまう。

 まず、そんな高精度の定規を使ったところで、他とのバランスが取れないのだろうと思うのだ。
 そもそもマット紙やミュージアムボード自体しっかり角が直角になっていない。本気でやるならマット紙自体を切り直さなくてはならない。そうしたところで、フレームも歪んでいる。また精度の高い窓抜きのガイドラインを引いたところで、自分の手でカットする時点で精度は落ちる。どうやったところで多くの要素が精度を落とすことになる。

 無論、それでも高精度な器具を使って作業をすればより制度の高いものができることには間違いないだろう、しかしそれで費用対効果があったり時間や手間をかけただけの効果が出るかといえば、どうもそこまでは出そうに無い。またそれが有意な差として現れれるかどうかも疑問だ。

 自分の目で見て、まぁいいだろうなと言う精度まで詰めていけたら「そんなもんでええがな」と思う。

 実際、外国の有名な写真家の作品でも、マットは結構乱暴に切ってあるし印画紙も驚くほど波打っている事が多い。日本人のアマチュア作家の方が余程精度の高いブックマットを作っている。ではそれが作品全体の品位にどれだけ寄与しているもしくは阻害しているかといえば、どちらもそうでもないなという感じを受ける。

 まぁきっと「そこそこ」で良いのであろうなぁと思う。無論、高みを目指すことに異を唱えるわけでもないし、それを貶めるつもりは皆無で、むしろそれは賞賛されるべきものであると思う。要はバランスを取って全体の底上げを図る必要があると思うわけである。それこそこの問題にはネガキャリアマスクやイーゼルマスクの精度から関わってくるもなのだと思う。バランスを取ることが合理的なのではないだろうかと思うのである。