涼しい顔。腹に溶岩。2009/07/09 10:37

 ここのところ制作活動などろくにやっていなかったので、ここに何か書くと云うことも滞ってしまいました。読んで頂いていた皆さん、申し訳ないです。

 大阪写真月間2009も終わってしまい、次のHow are you, PHOTOGRAPHY?展に向けて構想を練ると云うことになっているのですが、なかなか脳が上手く動いてくれず、暑さのことも加わって、なんだかぐんにゃりしている状態です。

 それでも写真は撮っています。軽い小型カメラやクラシックカメラにフィルムを詰めて散歩がてらの撮影という、もう枯れた爺さんみたいな事になっちゃっています。PEN-EEDやらFUJICA35やらVITESSAだのRetinaだのCONTESSAだの…。使う必然性があるからでなく使いたいがために使うカメラたちで、そう云うのはこれらのカメラを作った方達に失礼かな?とも思うのですが、楽しみ方は人それぞれなので赦してもらいましょう。

 こうやって撮っている時は、枯れた年寄りみたいなんですが、"優良物件"に出っくわしてばしゃばしゃ撮っている時って、きっとギラギラして見えるんだろうなぁと思います。夕暮れの福島の路地に居ても、なんとなく鈍い光と汗くささを放っているんじゃないか?なんて思います。もっと夕闇にとけ込むようにそこに佇んでいたいと思うのですが。

 風光明媚な観光地なんかで撮影していらっしゃる皆さんも、かなりギラギラした感じです。ギラギラするというのは、目の前に展開される光景に感動しているのではなくて、感動はしているものの、それを作品としてモノにしてやろうと云う欲が、ギラギラさせてしまうのだろうなぁと思います。
 どちらかというとギラギラには否定的な感情を抱いてしまいがちです。なんか格好悪い感じがして。でもギラギラしているのは必死になっているのともまた違います、浅ましくは無いと思うのですね。粗にして野だが卑ではないって云うか。だからギラギラするのもそんなに悪い事じゃない、そんな風に思います。ああ、一体何を云っているんだか…。

 社会福祉の仕事をしていた頃「熱いハートとクールな頭」とよく云いました。頭まで煮えてしまうとまともな処遇などできるわけもないと云うことですが、これがなかなか難しいことで大抵の人は頭まで煮えているか、心底冷酷かどちらかでした。前者は民間の社会福祉施設に、後者は行政機関に大量に居りました。いやでしたねぇ、こういう連中が。

 そんな経験もあるので、ギラギラするにもバランスを取ってと思います。表題にあるように「顔は涼しく。でも腹の中には熱いドロドロのマグマがうず巻く…」ってぇのが良いのかもなぁ…と思います。

今年は富士のGA645iの出番が多いです。きっとこのカメラが自分が思う撮影のスタンスにぴったり来ているんだと思うのですね。うろぼろす堂に出会った時、ハッセルブラッドを持っていたらギラギラどころがムラムラ来ていると思ってください。ローライフレックスやブロニカなら普通にギラギラ。ペルケオやスーパーシックスを持っていたらその日は枯れていると思ってください。